退屈人生の野放図生活

多目的ホール

2年とちょっとのフリーター生活を経て軟弱社会人(親の会社)へ。 日記雑記、どうでもいいこと

父親のブログをみている

父親のブログを見ている

理由は後述しよう この記事内では言わないけど

(それって後述じゃないんじゃ?)

まあそんなことは放っておいて、

さっき述べた通り父親のブログを見ている

改めて考え直してみて 父親はどんな人間だった?

少しでもヒントを見つけて理解を深めるため

親子は親密だけど 子どもの立場からすると

ある程度成長するまで

親の素性なんて1ミリもわからないんじゃないかとも思う

(子どもは幼稚で、察しが悪く、他人の考えなんてわかりやしない)

うちの家庭が特殊なだけかもしれない。けれども

人格や考え方や行動の取り方なんて家族が増えれば

子どもができれば、そんなものに左右されてしまうではないかと

 

話はそれたけど、父親のブログを見ていて、

最初から見返してる 写真を主に見てるけど

サブタイトルで気になるものがあると 読んでみてる

アーカイブを2004年からさらっとみていて

2007年の12月まで来た。祖父のことについて書かれた記事があった。

祖父は、自分が小学校のときに亡くなっている

大好きだった祖父。いつもべったりで

離れるのが嫌で、祖父はドライバーのしごとをしていたが

隣町の幼稚園で幼稚園バスの運転手だった。

家からまあまあ離れているのに、じいちゃんと一緒がいいと

俺のわがままで隣町の幼稚園まで通っていたくらいには好きだった。

そんな大好きなじいちゃんが、2007年になくなっている

 

じいちゃんのことが本当に大好きだったので

その日の夜のことは、はっきり覚えている、今でも

小学校の時のことだったけど、中学を卒業するくらいまで

昨日までじいちゃんがいたんじゃないか、

という錯覚があるくらいには記憶に残っていた

亡くなった数日後も俺はずっと毎晩泣いていた

絵本の、わすれられないおくりもの

に出てくる涙で毛布をぐっしょり濡らした。

という表現がまさに合っていた。

 

じいちゃんがなくなった日、

夜遅く隣家の祖母の家から電話がかかる。

電話越しにめちゃくちゃ焦っているばあちゃん。

一家四人起きるおれら。「じいちゃんが大変だ」と。

急いでみんなで家からでて、祖母の家に行く。

おかってのドアまで来たけどしまってる。ばあちゃんも動揺しているから

合鍵を使って家族4人で寝室へ駆けると、衝撃が走った

そこには白いベッドシーツを半分くらい真っ赤に染めている祖父の姿が。

衝撃すぎて頭が追いつかなかった

そもそも祖父は家にはいたが、喉のガンがあるだかで

入退院を繰り返していて、その時は自宅療養をしていたときだった

その光景を見たあと

親に言われ俺ら兄弟子どもは家に戻ってろと言われ、家に戻ってた

救急車が呼ばれ、緊急搬送される祖父。家には俺と兄しか残っていない。たしか。

事のヤバさを理解して子供部屋で気が狂いそうになりながら、

救急車の音が近づいてくるのを聞いてた。

庭に来た救急車の赤色灯が部屋の天井、壁を赤く照らしていたのを

今でも覚えている。泣きそうになっていた、いや泣いていた。

従兄弟たちと叔父はこっちに残って子どもの番をするそうで、

従兄弟たちが来る前にいとこたちに笑われちゃうから

泣かないでと兄に言われたのを覚えている

気を紛らわすために、兄がその時好きだったゲームソフト、ロックマンゼロ

持ってきて気をそらそうとしてくれていた。ありがとう。

従兄弟叔父兄と夜を過ごし、何をしたかは覚えていないけど

みんな眠りについた。いっぱい泣きつかれてたのですぐ眠れた。

だけど深夜に目が覚めた。自分だけかもしれないけどわからない。

子供部屋は暗く、隣のリビングから光が漏れていて叔父が電話してるのが聞こえた

冬の深夜だからとにかく静かで、叔父の声はもちろん電話の向こうの声も聞こえた

今でも覚えてる。叔母の声だった。「〇〇時〇〇分。亡くなりました」と。

それが聞こえた時にまた瞬間的に涙が溢れ、そのまま眠った。

次の日はやたら天気がよくてぴーかんだった。

親に起こされて祖母の家に行ってみると、そこにはじーちゃんが寝ていた。

起きないじーちゃんが布団で寝ていた。見た瞬間泣いた。

とにかくおぼえてないくらいずっと泣いていた。大好きなじーちゃんだったから

 

親父のブログにかかれていたことは、搬送先の病院での内容だった。

詳しく話を親父から聞いていたかもしれないけど、もはや覚えていない

文字で残してくれたおかげで、状況がすこしでも理解できた。

4人でモニターを見ていた等説明描写もあったけど読んでる最中

イメージが頭の中ではっきりと湧いていた。悲しくなって、

24歳にもなって泣いた。どうやら親父は緊急搬送される前に、

祖父と約束をしていたらしい。俺も約束をしてた。悲しくなった

 

父親へ、記事に残してくれてありがとう。ここに記事は載せられないけど…