退屈人生の野放図生活

多目的ホール

2年とちょっとのフリーター生活を経て軟弱社会人(親の会社)へ。 日記雑記、どうでもいいこと

趣味意見好み全て合致する友人こそ親友?

好きなことや好み、趣味や意見がすべて合致して

気が合うような友人こそ本当の親友なんだろうか?

だとしたら自分には親友などいないし、友達は少ないけれど

今のところ趣味や好きなことで気が合う友人など一人もいなく、

こちらが少し合わせているか、ナチュラルに本当に好きな

事の話題で盛り上がれる友人ってのが一人もいない。

 

やっぱり意見が少しでも食い違うと良い気分ではないし、

俺が好きな物を、放っておけばいいのに、いちいち「嫌い」

とか、「ダサい」とか、「キモい」とか言ったりする人も

本当に嫌いだし、本当ならそんなこと言う人とは関わりを断つべき

なんだろうけどそれだけが嫌なところなら自分の基準では

それだけで関わりを断つ理由には直結しない。だけども本当は

それに対してこちらこそが、”放っておく”ってことが一番の

大人っぽい対応なんだなぁ、と思ったりしてることもあります。

いちいち批判や否定に食いついてる所は本当にガキっぽいし、

上っ面だけで本当に思ってもいないのに「市ね!」って言われたのに

マジになってキレてる小学生と変わらないなぁ、とつくづくおもいます。

本当なら趣味や好みが一つも合致しない友人なんて全員

絶好するべきなんだろうけど、それをしてしまったら

友人なんて一人もいなくなってしまうし、だから

心のどこかで惰性(惰性ではないんだけど)的な意味で

付き合ってるだけのような気がしてる。

そう考えると思うのが、本当に、趣味意見好み合致する

人間なんているのか?と思う、異性だと一線を超えそうなので同性で。

実際そんな人いたら本当に楽しんだろうし、というか

全て合致してなくても一つでも意見が合う友人が居れば

それはそれで趣味の相違があっても楽しいんじゃないかなぁと思う

意見が合う友人なんて今までいなかったのでそんな人実在するのかも

よくわかりませんがでも、結局のところ、趣味とか好み、

まぁ意見はその人の思うところだから除外するけど、

趣味とか好みとかだけなら合わない、ってのはただ単純に

俺の視野が狭いだけな気もして、それは自分がちょっと努力をすれば

ちょっとでも改善できるような気がして、でも

趣味や好みが合う友人を見つけるためにそこまで努力する

必要はあるのか??みたいな哲学的なよくわからないことも

考え始めてしまったので以上にします。

とりあえず、今俺と関わってくれている友人は一体

どんな理由でわざわざかかわってくれているのか、一人ひとり問い詰めたいです。

意見も好みも趣味もやってるゲームも全く違うのになぜ、

人間としてかかわるのか聞いてみたい。俺が関わる理由は、

相手が関わってくれるからっていう理由だけで関わっています。

↑みたいなクズな理由だから、俺は今友人が少ないのかもしれない。

中学生の頃の友人で今も話す人なんて一人もいないし、

今はなす人は大体小学生の頃からの友人か

もしくは高校生で初めて友人になったような人です

以上