退屈人生の野放図生活

多目的ホール

2年とちょっとのフリーター生活を経て軟弱社会人(親の会社)へ。 日記雑記、どうでもいいこと

元気が出て光に照らしてくれた友人

それはつい先月、9月下旬頃のお話。

おれは勝手に落ち込むことがおおくて以前の記事の通り、上手く行かないことがあるとすぐマイナス思考に逃げそれを客観的に見た後、双極性障害かなうつ病かなと思い込んで落ち込みに自ら拍車をかけていた。

そんなある日、友人とのなにげないラインの会話で急に飛び出した励ましの言葉。

ちなみにその友達は、小学校の時俺を別の人間と間違えた事がきっかけで知り合ったらしい。俺は覚えていないけど、そういう話らしい。後は俺の兄と元々仲が良かった。

なにより、俺は中学生1年末くらいまでno思考で、本能だけで動いていたらしくその頃の行動は記憶として残っているものの、なぜその行動に至ったか覚えておらずまるで別人の行動のようにまで思える。謎だ。

話を戻すと、そんな友人からラインで励まされた。中学は仲が良かったものの高校ではあまり遊ばず、高校終わり頃から今まで何度も遊んだし仲良くやっている。彼は高卒で就職したけど地元に残ってるから、それも理由かもしれない。

そんな彼から飛び出た励ましの言葉、恐らく落ち込んでない俺だったら綺麗事だと思ってスルーしてたけどその時俺は落ち込んでた。だから、刺さった。だから、クソ真面目に返信もした。会話を続ける内になんだか元気や勇気が湧き出てくるし、こんな俺にもなにかできるんじゃないか、と言う気持ちになった。(その時点での)俺にはできないような楽観的な人生観というか、そういうなんとかなるさ、考えるより行動、まずはやってみろみたいな考え方に魅了された。

まずは自分を偽らず、向き合って、よく知ってから、最後には焦りすぎもよくないと助言までしてくれた。本当にいい友達を持ったと心から思った。誇りにも思えた。趣味も好みもあまり合致はしないし、本当の親友ではないのかもしれないとまで思ってたけどそんなことはなかった。俺を元気づけるために精一杯言葉をくれた、手段を教えてくれた。俺自身そんなことはできないからと情けなくも思ったけどそれを越える勇気や元気が出てきた。物事の見え方も変わった。その後、数日後彼と遊んだけど視界が澄んで見えた。何があってもポジティブに生きられる気がしてきた。でもそれきりではなく、同じ考え方をいつもできる用にせねばと反省もした。努力も必要だと心に決めた。友人に感謝をせねば、、、ありがとう。本当に、ありがとう。